たとえ幼少期に本当のお金の本質について、また、本当に役に立つ金融取引の在り方について学んでいなくても、社会人になれば、なんとか給与をやりくりし、預貯金を始めたり保険を掛けたりマイカーをローンで購入したりする羽目になります。
金融機関の職員だろうと税理士資格を取得したものであろうと、「本当のお金持ちからお金のことを習ったことのないもの同士」が見様見真似、セールスマンに勧められるまま、親に相談して、なんとなく、それっぽく、お金や金融と付き合い続けていきます。
ルールもセオリーもポイントもわからないままにです。
これでは、生涯お金の不安や悩みが払しょくされるわけはありません。
論より証拠、世の中は、毎日お金の不安や悩みや問題を抱えて、お金も時間もゆとりができない人であふれかえっています。
その最たる例が、「株式投資が怖い人たちが株式会社に勤めている」ことや「税理士と顧問契約を結んでいる会社が倒産する」という現状です。(株式投資をする人がいなくなれば、株式会社は資金調達に困りますし、税理士は税務のプロフェッショナルであって、財務のプロフェッショナルとは異なります)。
「子供がお金の話なんてしてはいけません!」「お年玉はお父さんお母さんが預かっておきます」誰もがよく耳にしたフレーズです。
ところが、子供から大人と呼ばれる生き物に生まれ変わり社会に出た瞬間から、人生は常にお金の話でもちきりです。
トレーニングもしないままに、いきなり、右も左もわからない世の中に放り出されて、「お金は労働の対価だ!世のため人のために働こう!」と理解も納得もしていないままの状態で、日々の生活を営む羽目になります。
これでは「お金のことなんか習ったことないよ!」と言い訳するのも無理はありません。
「親がお金持ちだったら、お金の苦労せずに済んだのに」と、私も幼少期に幾度となく思いました。
少なくとも、親が本当のお金の本質について詳しければ、お金持ちでなくても、社会に出てお金ごときで悩まずに済んだのにと思っていました。
「自分で家を建て、車を作り、料理を毎日作り、衣服を作る。毎日子供たちに学問を教え、時々自分で髪を切り、遊園地のような施設を作り子供たちと遊んでいる」
私の周りにはこのようなスーパーマンは存在しません。
なんでも自分でできるようになると、組織も社会も必要なくなります。
世界中のすべての人類が、何でも自分でできる自給自足なんてことはありえません。
人は誰かの役に立ち、誰かの支えの上に成り立っています。
自分でできることを提供し自分のできないことを提供してもらうという「双方向で相手のできないことを楽にする(傍を楽にする)」から傍楽(はたらく)なのです。
そのはたらく労力を数値化したのが対価であり、この仕組みを熟知している人ほど、自分の能力が、どこで・誰の役立つのかを知っています。
だからこそ、お金がもらえ、上手なお金や時間が使えるのです。